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下士
 
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名称 通称:三十六糎一式徹甲弾
(36cm1式徹甲弾)
制式名称:四十五口径四一式三十六糎砲一式徹甲弾
弾種 低抵抗被帽付徹甲弾[APCBC弾]
型式 分離装薬式
使用砲 四十五口径四一式三十六糎砲
完成弾重量 - [kg]
弾薬包全長 - [mm]
弾丸 重量 - [kg]
直径 - [mm]
全長 - [mm]
炸薬 - [kg]
信管 -
有効区域 正面幅 - [m]
縦深 - [m]
薬包(薬莢) 重量 - [kg]
直径 - [mm]
全長 - [mm]
材質 -
装薬 -
火管 -
説明 本弾は、金剛型、扶桑型、伊勢型戦艦の主砲である四十五口径四一式三十六糎砲用の徹甲弾です。今日、一般書籍では、その呼称が一式三十六糎徹甲弾」となっているものが多いですが、海軍における制式名称は「四十五口径四一式三十六糎砲一式徹甲弾」です。本弾は、九一式徹甲弾の風帽接合の不具合を解消し、風帽中に、着弾識別用の染料が入れられたものようです。砲外弾道は、九一式徹甲弾と同一ですので、寸法や重量は、ほぼ同一と考えられます。詳細は、堤明夫様による「三十六糎九一式徹甲弾と一式徹甲弾の違いについて」をご覧ください。
なお、呉海軍工廠砲熕実験部が纏めた「弾道関係諸元表」に示されている三十六糎九一式徹甲弾のデータは、次のとおりです。
◎ 三十六糎九一式徹甲弾
弾量: 673.5 kg
弾径: 354.7 mm
弾長: 1524.7 mm
炸薬: 九一式爆薬 11.102 kg、対弾量比 1.65 %
重心点の位置: 511 mm
弾底より導環までの長さ: 137.4 mm
導環全長: 112 mm
導環最大径: 376.25 mm
圧迫面の長さ:乙導環 57 mm、丁導環 73 mm
剪断面の長さ:乙導環 75 mm、丁導環 74 mm
信管:一三式四号信管改一、一三式五号信管(帽付)
●三十六糎九一式徹甲弾と一式徹甲弾の違いについて(堤明夫様による解説)
私が入手しております旧海軍史料及び戦後関係者が書き残した未公刊資料を総合して、「九一式徹甲弾」に対して「一式徹甲弾」は、次の2点の相違のみとほぼ断定できます。(「ほぼ断定できます」というのは、そのものズバリの「こうだ」と書かれた公文書が無い、という意味です。)
1.風帽内への着色染料の封入
2.風帽の接合材料の改善
この2点については明記されたものがありますので間違いありませんし、名称の変更も1.の理由をカバーストーリーにした2.の理由であることでほぼ断定できることが解っています。
因みに、「一式徹甲弾」の一型~四型の区別は、単に着色弾としての封入染料の色の違いのみで、次のとおりです。
一型:無色
二型:黄色
三型:赤色
四型:青色
これは旧海軍の文書に示されています。(これは本邦初公表の事実です(^_^))
一方、導環と風帽の形状については記述されたものが全くみつかりません。
特に風帽形状については、旧海軍が亀ヶ首射場において各種口径砲につてい各種形状の遠達弾を実験した史料が残されていますが、この中で風帽付のものは頭部角度が23度30分の形状以外のものは全く試験されておりません。 また、「一式徹甲弾」の射表について言及した公文書からは「九一式徹甲弾」と形状変更は無いことが断言できます。
また、導環についても、安易に変更できるものではなく(詳細は、 後述する「三十六糎九一式弾の導環について」をご覧ください)、変更は無かったものと考えられます。
三十六糎からは離れますが、四十六糎九一式徹甲弾と一式徹甲弾の違いについては、学研「大和型戦艦2」(歴史群像太平洋戦争シリーズ第20巻)の中で、国本康文氏が次のように述べています。
『一式徹甲弾は、残された図から判断して、九一式徹甲弾の弾頭をさらに先鋭化して射程を増加させ、かつ弾丸側面の2分割の銅環(導環)を一体化して生産性を向上させた弾種と推定される。』
また、良く知られたヤヌス・シコルスキー氏の「戦艦「大和」図面集」(邦訳版:光人社)などにも確かに2種類の外形図と2種類の導環の断面図が示されております。
しかし、四十六糎砲弾は、九一式の制式採用が昭和16年4月、一式弾が同年12月ですから、こんな短期間で、わざわざ四十六糎砲九一式弾だけ、導環の「生産性の向上」を理由にその変更を行うなどと言う大作業を、しかも太平洋戦争開戦直前の時機に実施するとはとても考えられません。「導環の生産性の向上」を問題にするなら、三十六糎砲弾は丙導環は一体型ですが、その後に採用され丙導環より多く使用された丁導環は2分割タイプです(詳細は、 後述する「三十六糎九一式弾の導環について」をご覧ください)。 しかも、三十六糎砲弾の製造数は、四十六糎砲弾よりずっと多いのです。
ご両人とも広く名前を知られた方々ですから、当然ながらこれらもそれなりの根拠に基づいたものなのでしょうが、残念ながら国本氏は外形図、導環断面図もその根拠文書名も、またシコルスキー氏は根拠文書名を明らかにしておりません(根拠が知りたいものです)。
私個人の意見としては、「大和」の四十六糎九一式弾と1式弾は「外形は同じ、弾量はほぼ同じ」と判断しています。
●三十六糎九一式徹甲弾の導環について(堤明夫様による解説)
四十糎九一式弾は1種類しかありませんが、三十六糎九一式弾の場合は導環の型の違いによって2種類あったことが旧海軍の史料で明らかになっています。
元々は三十六糎砲弾用の導環は当初は1種類だったものが順次増加し、図6に示すように昭和12年の段階で4種類になりました。 この内、九一式弾に使用されたのは乙型と丁型です。 また乙型導環で製造されたものの中には後から丁型導環に改造されたものもあるようですが、どれだけのものが改造されたのかは判りません。
しかしながら、たかが導環の僅かな違いといえども、これは射撃する上では大きな差になってきます。 即ち、旋条への食い込み(抵抗)が異なってきますから、これに伴い砲内弾道が異なってきます。
例えば、この九一式弾の場合、丁導環は薬量 141.7kg ですが、乙導環の場合は同じ 80DC で薬量 144.3kg のとき同じ初速となります。 当然の事ながら、薬量が異なると、最大筒圧、最大筒圧点、完全燃焼点など砲内弾道(正しくは「とう内弾道」)も全て異なってきます。
したがって、試験場での射撃試験でデータを採り、それに基づいて弾道計算を全てやり直して、弾道表と射表を編纂し直さなければなりません。
それに加えて更に、薬量が異なりると乙導環用と丁導環用でそれぞれ専用の装薬の製造も必要になってきます。 それぞれ専用の装薬ですから、両者を混同しないために1つの弾種で乙導環と丁導環の砲弾を混載しないように定められています。
それぐらい、この導環の違いというのは大きいものなのです。
参考文献 -
備考 図、資料、説明は、防衛大学校教授 堤明夫様より頂きました(感謝)。
作成 2004/10/31
更新 -
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