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发表于 2011-11-28 21:47
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【主砲】
米国ローズヴェルト政権が東京およびロンドン条約の破棄を通告したことにより実働した第3次海軍中期防衛装備計画、通称マル3計画における目玉として4隻が建造された巨大戦艦。
その最大の特徴は、長砲身51センチ砲(98式乙砲‐改)の採用にある。
この砲の特徴は、当初から薬室を大重量徹甲弾と強装薬の使用することを前提に設計し、自動装填装置を砲の装備に付け加えていることである。
計画段階では50口径であったが実験により2口径砲身を延長。これによって近距離においてはフランスの「ダンケルク」級には劣るもののそれでも秒速1000メートル近い高速弾を放ち、弾道特性の変化によって中距離以遠では水平甲板ないしは砲塔天蓋に砲弾が命中する山なり弾道を描くという良質な砲身が誕生した。
また、大重量徹甲弾の採用により一発あたりが2.5トンを超えた砲弾を円滑に装填するために自動装填装置を標準装備し、八八艦隊計画艦のように再度改装を行い砲塔を大型化する必要をなくしている。
結果、1分あたり3発に迫る高速での斉射が可能となっている。
砲の計画は、1931年に既存の48センチ砲の更なる改良型の模索としてスタートしたものの、結局は発展型の開発に落ち着いた。
八八艦隊計画艦が換装を受けたのはこの計画により完成した51センチ砲のダウンサイズ版である。
試作されたのは48センチ砲、51センチ砲、56センチ砲、61センチ砲の四種で、米国の新型戦艦が大量の43センチ砲ないしは46センチ砲を搭載するとの情報から本型には51センチないしは56センチ砲を搭載することが計画された。
しかし、56センチ砲では自動装填装置を用いても装填速度が低下し、なおかつ同規模の船体には8~9門搭載するのが精々である、つまりは単位時間あたりの発射弾量が少なくなるとの判断から51センチ砲の搭載を決定。
そのかわりに12門と米国の「モンタナ」級戦艦に迫る多数を搭載することになった。
【機関】
機関は、新たに開発された艦本式波号缶と反動タービンを搭載、南太平洋からインド洋までを戦場に想定しているために長距離巡航用にドイツから導入したディーゼルエンジンを搭載した。
装甲艦「筑波」型において運用に苦労したディーゼルではあるが、巡航用に限定することで長距離巡航性能を確保。しかし球状艦首の採用によって反動タービンだけでもギルバート諸島までは進出が可能となっている。
計画時は33ノットを実現し「アイオワ」級戦艦や「レキシントン」級巡洋戦艦に対抗する予定であったが航続距離の制約からディーゼルエンジンを採用し、31ノットで我慢していた。もっともこれは、船体構造の改良によって一定以上の航続距離が得られたために失敗と判断されている。
【兵装】
副砲を全廃し、対水上と対空両用の12.7センチ砲を採用している。
これは、「長門」型の第4次大改装において試験的に採用されたものの射撃指揮装置と自動装填装置を換装したものである。
また、スペイン内戦における戦訓から低空を飛行してくる航空機に対して高速で指向でき、また1分間に50発以上の弾量を投射できる長8センチ単装砲も装備している。
これらに加えて、大量の対空火器とそれ相応の射撃指揮装置多数を装備。
巨体であるがゆえに全体にわたって対空火器が配置されることになった。
1930年代以降急速に実現されつつあった航空攻撃力に対するある種病的なまでの気の使い方がよく分かるが、実戦においてはむしろ過剰装備で、のちに40ミリ以下の機関砲の類は半数以下にまで減らされた。
航空機は、長門型や空母などに偵察を任せたことによって弾着観測や連絡などに使用することのみを想定して最大7機が想定された。
格納庫は通常は多目的用倉庫として使用され、定数は3機となっている。
【船体・装甲】
船体は広い幅を有し、魚雷による命中を想定して艦内は細かな細密区画で仕切られ、舷側にバルジという張出が、艦底で爆発する磁気感知信管付き魚雷に対抗して3重底化がなされている。
これによる水中抵抗の増加については、新たに球状艦首の採用によって17パーセントあまり削減。(これには、全溶接構造を採用したための抵抗削減も寄与している)
速力は何とか30ノットを超えることができた。
また、防御区画については、全体の7割5分あまりを主要装甲と副装甲とし、残りを副装甲で覆うという方式を採用している。
これに伴って開口部が少なくなったため、日本の戦艦としてははじめて全艦冷暖房が完備となった。(平時は大型コンプレッサーにより集めた空気を全艦に循環)
装甲は、22度傾斜した520ミリ装甲を舷側に、水平装甲として242リ、それに加えて副装甲として50ミリが船体の全面を覆うという重装甲である。
これは砲戦を想定したこともあるが、主として爆弾や魚雷などが命中した場合に備えてのものである。
これらの間には燃料タンクやコンクリート、衝撃吸収材などとともに応急注排水タンクが配されており、緊急注排水用の大型ポンプは艦内の消火などのダメージコントロール用にも使用されていた。
この船体および防護区画の設定は、1920年代末よりはじまったドイツ帝国との技術交流の一環によるもので、欧州大戦(第1次世界大戦)におけるドイツ戦艦の応急防御方式および船体防御の方針を参考にしていた。
ちなみに、ドイツ側は自国の設計技術が20年近く遅れていたことを知り愕然とし、英国側は砲塔周辺の脆弱性に愕然とし、日本側は溶接技術の稚拙さと応急処置の存在を知りまた愕然としていた。
【その他 補助兵装】
設計段階より航空機による攻撃を想定し、これに対抗しつつ敵艦隊を圧倒する弾薬投射量と装甲を持つべきだというある意味混乱した設計思想によって重装甲と大火力を両立するために船体は12万トンにまで大型化した。
これは、日本の主要港湾において運用するのにギリギリの大きさであった。
航空機に対抗するという目標から、対空用の電波探針儀を当初から装備し、射撃指揮装置も片舷あたり6つが装備されそれぞれ別の目標を把握することができた。
【解説】――米国の軍縮条約破棄と戦艦部隊の大規模な量産に対抗すべく日本海軍が作り出した超大型戦艦である。
1936年の東京およびロンドン条約の期限切れによって大量の戦艦建造を行いつつあった米国は、「アイオワ」級高速戦艦6隻と「モンタナ」級戦艦4隻に加え、砲身換装を行った「ワシントン」級戦艦10隻という大艦隊を1945年末までに整備するという大建艦計画
「両洋艦隊計画」を実行に移しつつあり、早急な対処が必要とされていた。
そのために1935年より艦政本部では試案を作成しており1936年1月には計画案「A140-F案」が採用され建造が決定するかに見えた。
しかし、計画推進派が当時の政権与党政友会総裁 中島知久平に対して海軍の艦隊派と陸軍反主流派が政権の倒閣工作を行ったことから計画は政治問題化。
建造計画は一時的に中止されてしまう。
その間に再検討と実験が繰り返された上で完成した「A145-A」案が1937年6月に承認された。
全面溶接方式やブロック工法を使用したために従来の倍近い巨大戦艦にもかかわらずスムーズに進んだという。
建造にあたっては大分県大神に新設された大規模工廠と呉第6ドックおよび三菱長崎、石川島室蘭といった新造ドックが指定され、1938年2月に一気に4隻が起工された。
1941年11月から12月にかけて相次いで竣工し、翌年艦隊に配備された。
本級の設計に満足した海軍は、「越後」型戦艦の建造が決定した。 |
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